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大日方 その導入のドキュメンタリー部分のことで思ったことがあるんですけど、原田さんが稽古場で指導しているシーンがあるじゃないですか。

 

伊藤 ありますね。お弟子さんをね。

 

大日方 あそこに一つ、教える/教えられるという関係の形があって、そして続く導入部の後半でも、本編に登場する主役の一人である久保さんっていう女の子と伊藤監督が会話してる場面、あれもまさに教える/教えられるという関係であるわけで、そういう同種の向き合う関係を二つ並べているというか。だからこの映画は、発生する初期条件として、教える/教えられるという関係の中から本編のパート1もパート2も起動していく作品なのだと、そういうことがああした形で明かされている気がしたんですね。

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伊藤 面白いですね。

 

大日方 で、教える/教えられるという関係って、結構ヤバいことがあるわけです。大学の芸術学部なんかで教えていると、非常に学生から影響も受けるし、学生が抱えている存在の不安みたいなものが教えるこちら側に押し寄せてくる、乗り移ってくるということがあるじゃないですか。

 

伊藤 ありますね。

 

大日方 で、女の子なんかだとこちらが勝手な幻想を持ったりすることもなくはないじゃないですか。

 

伊藤 事件が起こったりしますもんね、事故とか。

 

大日方 教える/教えられる関係の中にある、何かこうゾワゾワモゾモゾ、いろいろな関係の流動状態みたいなもの、そういうのが原田さんとお弟子さんの間にもきっとあるんじゃないかと思ったんですけどもね。

 

伊藤 その言われ方面白いですね。そうかもしれないと思いました、今。

 

大日方 どの部分ですか?

 

伊藤 その教える/教えられるというね、その関係。私も教育の現場に30何年かいて、若い子とずっと接してきたわけですよ。自分の映画に出てもらっているのはほとんど教え子です、今まではね。教え子を使ってそういうドラマ的なものを作り始めたわけですけど、それはまさに大日方先生が言われたように、彼女達の持っている不安とか、迷いというんでしょうかね、そういう負の部分みたいなものが何か伝播してきちゃうわけですよ。それで、彼女達の持っているそういう負の部分が私のイメージをこう掻き立てるというか…掻き立てるんですよね。

だから今まで出てもらっている女の子達というのは、誰でもいいというわけではなくて、その教師と生徒という関係の中で密なコミュニケーションを取りながら、彼女達のいろんなものが見えてくることによって私も影響されて、彼女達の持ち味みたいなものは崩さないで、何か映像化しようというのはありましたね、ものすごく。

 

大日方 それでまたお聞きしますけど、そう考えた時に伊藤作品における“女子大生もの”といいますかね、ずっとあるじゃないですか。遡ると多分〈モノクロームヘッド〉が最初だと思うんですけど、20年ぐらい前の作品。〈モノクロームヘッド〉とか、あるいは〈静かな一日〉で、安部まりかというその時期の伊藤作品の重要なヒロインというか学生さんがいて。何というか不安に満ち満ちている映画で、ヒロインの抱えている自己破壊衝動みたいなものはとても激しいし。そういう安部さんとの向き合い方、伊藤さんはすごく近いところまで行こうとする感じがあって、やばいんですよ。

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​ 静かな一日 完全版 (2002)

伊藤 〈零へ〉の最初の、久保にインタビューしている時に「私の作品とイメージが似ているね」と言った後に、例えばお風呂に入っているシーンで、8ミリカメラを持ってバスタブの水の中に沈んでいくというショットが一瞬出てくるんですけれど、あの子です。あの子が安部まりかという子で、彼女を使って3本ぐらい映画を撮っていたんですよね、在学中に。

 

大日方 すごくこう近づいて行ってもろ共振しちゃう。それに対して、〈三人の女〉に登場するのも教え子で、3人の女子ですね。こちらは2016年の作品ですけれども。そして今度の〈零へ〉と、それぞれ大学で出会った若い女の子が出てくるわけですけど。教える/教えられる関係から転化して映画が生まれていることでは共通していますが、〈モノクロームヘッド〉の頃と較べると何か距離の取り方というか、向き合う形にだいぶ変化はある気がしますね。その辺、どう思われますか?

 

伊藤 〈静かな一日〉という映画を安部まりかを主役にして撮った時に、手伝ってくれる安部まりかの友達の女の子を一緒にスタッフとして映画を撮るわけですけど、その友達の女の子が「伊藤先生、まりかのこと好きやろう」と言うわけですよ。ドキっとしましたね。だから、多分自分としては距離を取っているはずなんだけど、そのまりかの友達は、その距離が何かちょっと違う距離として見えているということがありましたよ。それを言われた時にものすごくドキッとして「ヤベッ」とか思ってちょっと意識しましたね、距離というものを。だから〈三人の女〉では、そういう距離は保ったままできてたのかもしれないですね。それが映像としてどう違っているのかっていうのは説明し難いんですけど。

大日方 今回の〈零へ〉の女の子2人…

 

伊藤 最初の?久保瑞季ちゃん。

大日方 出会いというか、彼女なら撮りたいという何かきっかけがあったんでしょうか?

伊藤 そうですね、まずは顔ですよね。顔が個性的で面白いと思ったこと、ちらっとそう思ったので、2018年のイメージフォーラム・フェスティヴァルという実験映画のフェスティヴァルで、プログラムの頭にジングルムービーといって、「イメージフォーラム・フェスティヴァルですよ、今から始めますよ」という映像があるんですよね、30秒の。それをイメージフォーラムから作ってくれと言われて「いいですよ、やります」と言った時に、久保を使ったんですよ。ちょっと面白い顔だなと思って、やってみようと。その映像がありますので、見てもらいましょうか。

(映像を見ながら)

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​ イメージフォーラム・フェスティバル2018
​ ジングルムービー

 

このジングルを作った時に、生身で彼女を見る時と、それを映像にした時と全然違って見えてくるんですよ。いい顔だなと思っていたんですけれど、撮ったらものすごくいいなと思ったんです、映像を見て。で、この子で撮りたいというのがきっかけです、最初はね。

だから本当に映像って撮ってみないと分からないんです。いろいろロケハンに行って、ああいいなぁと思って写真を撮ったり、映像を撮ったりするんですが、それをスクリーンで見た時、映像として見た時にガラっと違うという。そこが映像の魔力というか魔物というか、何か変換しちゃうんですね、映像によって。その力は意図しない力のような気もして、そこがとてもスリルを味わっているみたいなところがあります、映画を撮る時に。だから、ちょっと話がずれていくかもれないけれど、ロケにはものすごく気を使うわけです。

この〈零へ〉という作品も、どういう風景をこの作品の中に入れるのかというのは、ものすごくたくさんロケハンして最終的に今日見てもらった風景になっているわけですけど、その風景を探しに行く時どういう気持ちで探すかというと、登場してもらう人物、原田さんだったり、女子学生だったり、あの子をここに置いたら、また原田さんがこの風景の中を歩いたらとか、そういう気持ちで見るんですよね。風景を探しまわるんです。だからものすごく想像するわけですよ。ある河原みたいなところに行って、階段がガーンとあって何かロケ地として面白いなとか思って、ここを原田さんが足を引きずりながら駆け下りていくというシーンを想像するんです。で、想像した時に、その階段のある風景が違って見えてくる。ある意味心象風景というか、登場人物の風景として見えてくるみたいなのがあって、「ああ、やっぱりこの階段にしよう」とか、そういう感覚でチョイスしていくんですよ。でもそれも実際に撮影して編集して繋げてみた時に、違うなと思うこと、この風景じゃないなと思うこともあるんですよ。

 

大日方 そういうものは使ってないということですか?

 

伊藤 使ってない。裏切るんですよね。ものすごく風景がいい、ここで原田さんを動かして撮影しようと思って撮影したものを、編集の時に自分のモニターで見るんですけれど、見た時には何か違うなという。だからものすごく裏切られることが多いんですよね。その逆もあるんです、ものすごくいいなって。何げない風景だけど「ああいいな」と思うこともあるしね。だから、そういう実写で映画を撮るというのは、本当にそういう偶然をどんなふうにコントロールしていくかというのが、作家としてはクリエイティブなことなんだなと思いますね。

 

大日方 また違う質問ですけれども、「撮影・脚本伊藤高志」と出ているじゃないですか。この作品に脚本ってあるんでしょうか?

 

伊藤 あるんですけれど、私は箇条書きなんです。要するにパッと出てきたイメージを文章にして並べていくという。箇条書きだとパズルのように組み合わせ方が結構簡単なんですよね。

 

大日方 一番最初にそれを作るんですか?

 

伊藤 だいたいメモっていきます。ダーっと、イメージを。例えば「マネキンの顔をバットで叩き潰す」みたいなね。あったら面白いだろうなとか。で、それは一応文章にするわけですよ。それがどこに入るかはまだ分からない。とにかくパッと出てくるイメージを文字にしちゃう。「スコップで穴を掘る。穴を掘って、そのできた穴が血だらけになる、血の海になっている」あ、これも面白いなとか、そういうイメージをどんどん書き連ねていくんですよ。それを最終的には表みたいに並べていくんですけれど、これをシナリオとして書いていくと、その並べ替えがものすごく難しいんです。シナリオってものすごく論理性が必要なんですよ、文章の。何がどうしてどうなるみたいなことが、どうしても頭にあって書かざるを得ないんですよね。

 

大日方 そういうのって書いたことあるんですか?

 

伊藤 ないんです、実は。ちゃんとしたシナリオを書いたことはないんですね。自分の作り方はシナリオをちゃんと書いて作らない。メモですね。だから、本当は「脚本」って書いちゃいけないんです。だからあれは嘘なんですけども(笑)。

 

大日方 いやいや。でも例えばそのメモを箇条書きされたものというのは今も残っていますか?

 

伊藤 ありますよ、もちろん。

 

大日方 じゃあこれから伊藤高志シナリオ集というものを出版するとすると、その箇条書きが出てくるということになる。

 

伊藤 まあそういうことになるんでしょうけどね。

 

大日方 読みたいですねえ。

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「​零へ」絵コンテノート表紙(左)と中身(いずれも部分)